2009年3月15日日曜日
ヴィットーリオ・マッテーオ・コルコス『夢』
もう若くはない女性が,フランスのグラッセ社の叢書を三冊横に置いて物思いにふけっている。落ち葉の様子からみて晩秋のように見える。
フィレンツェの画家ヴィットーリオ・マッテーオ・コルコス(Vittorio Matteo Corcos, 1859-1933)のこの1886年の作品の原題は「sorgi」である。
この絵は,シュテファン・ボルマン(Stefan Bollmann)『読書する女は危険だ』(Frauen, die lesen, sind gefhrlich)の表紙に使われている。どういうわけか,ボルマンは,麦わら帽子や日傘があるので,季節は夏だとしって,「去っていく夏が一人の少女を自意識をもった女性に変えた。これには読書も貢献しただろう」と言っている。
さて,ビリー・ワイルダー監督の晩年の監督作品『悲愁』(Fedora,1979)を観ていて,あっと思った。この映画は,伝説的な女優フェードラが主人公で,女優の誇りが引き起こす悲劇であり,もう一つの『サンセット大通り』といわれている。
ここに,この絵が登場する。公爵夫人が,自分の若い頃をポーランドの画家に書いて貰ったものだと説明する。何と,コルテスの元の絵に男の子が描き加えられていて,夫人は,この子は息子のアントンだと言う。
左手はあごから外れていて,人物の印象はかなり違う。いずれにしても男の子は幽霊のようだ。
映画の進行の上で,この絵がどうしても必要というわけではないので,このような細工をする意図は理解できない。
2008年4月20日日曜日
上村松園「姉妹三人」
『姉妹三人』では,女性が立って本を読む姿が描かれている。奧のおそらく長姉が絵双紙を左手で持ち,右手で面を押さえている。手前の末妹は,右手を自分の口元にあてている。
時代は,明治初期らしい。このような立った姿勢で,長時間,三人で読み続けるとは思われないので,この箇所だけを見ているのだろう。また,この三姉妹は,歳は離れているようので,何かしら三人の共通の関心事が載っていると思われる。
三人姉妹の親密さが感じられるとともに,末の娘の若さを強調した薄いピンクの着物が前面に位置しているので,華やかでもある。ずっと見ていると京都弁が聞こえてきそうである。
上村松園が描く女性は,みな姿勢がよいが,その姿勢は考え抜かれていて,これ以外ないと思うほど完璧である。本ではなくて,持っているのはうちわであるが,九条武子がモデルと言われる『月蝕の宵』では溌剌とした動きが,見事に切り取られている。
2008年1月2日水曜日
石橋和訓「美人読詩」
壁にそって置かれた椅子の壁側に柔らかいクッションがあり,黒いドレスの女性がゆったりともたれかかり,読書をしている。上半身しか判然としない。右手で本を背からささえ,左手でページを繰っている。長時間の読書に適した,いかにも楽そうな姿勢であり,長いことこの姿勢のままであるように感じ取ることができる。
詩集のはずであるが,本は,ぎっしりと活字で埋まっているようにみえる。
モデルは,当時のイギリスの女優であるといわれている。たいへん美しい上,ヴィクトリア朝の雰囲気ばかりでなく,知性と優雅さがにじんでいる。それに肖像画のポーズとなるほど,女性が本を読むということが一般化していたことがわかる。
石橋和訓(いしばし かずのり/わくん,1876-1928)は,島根の農家の長男として生まれ,松江や東京で洋画を学んで,1903年にロンドンへ留学した。外国人が入るのは難しかった王立美術院に入った初の日本人となる。ここで肖像画の技術を学び,肖像画家として知られた。
英国と日本の著名人の多数の肖像画があるが,多くは英国にあり,所在の確認が困難とのことである。
この作品は,日本の第3回文部省美術展覧会(文展)に英国から出展され,三等賞だった。
●石橋和訓 「美人読詩」1906年 油彩 カンヴァス 99.5×88.3cm 島根県指定文化財
2007年12月2日日曜日
ジャン・オノレ・フラゴナール「読書する娘」
ジャン・オノレ・フラゴナール(1732-1806)「読書する娘」(1778年頃)は,読書画像の代表である。
若い女性の読む姿であること,没入を感じさせることなど,読書画像の特色を最もよくあらわしている。大きなクッションを背に,姿勢良く,右手で小型本を持っている。この持ち方では片手でページをめくっていくことができるのだろうか。座っているのは椅子なのだろうが,よく見ると背は壁のようになっている。左半分の背景の暗緑色で,レモンイエローの服,それに襟と本の白さが浮き上がるようになっている。
読書は,一定時間同じ姿勢を保つわけであるが,この絵は一瞬を切り取ったように見える。また,物語性もない。そのためにいつでも斬新だ。
フラゴナールは,「肖像画のいくつかを一時間で描きあげたと豪語した」(『週刊美術館 : ヴァトー フラゴナール』 30号,2000年9月12日,小学館,p.20)といわれ,また写真的な記憶力があったようである。
フラゴナールは,1769年に,絵を習いにきていたマリー=アンヌ・ジェラールと結婚した。結婚生活は平穏だったが,マリーは愛嬌に乏しかった。その妹のマグリットが,やがて同居するようになり,絵も習い始めた。マグリットは画家として「悲しい知らせ」がルーブル博物館に残っているほどの腕前になった。姉とは違って美しかった義妹をフラゴナールは非常に可愛がった。
フラゴナールは,身近な人間を絵のモデルとしたと言われているので,この「読書する娘」のモデルは,マグリットではないかという説がある。確かに,フラゴナールが描いたマグリットの素描画をみると,おでこの形や首筋は,そっくりである。
フラゴナールの読書画として,他に,本のページをめくろうとしている「ディドロの肖像」(1769年頃)や本に向かう若い娘を描いた「勉強」(1769年)などが知られているが,もう一点,「読書する娘」という絵があり,こちらのモデルがマグリットかもしれない。
フラゴナールは,フランス18世紀後半のロココを代表する作家の一人である。勃興するブルジョア達の寝室を飾る「閨房画」で稼いでいた。しかし,この「読書する娘」には,そうした官能性はほとんどない。
「プーシェが描けばいかがわしく,それのみか淫らにさえなる題材もフラーゴの手になるや芸術となり,自然の流露となり,趣味と精神的優雅の限界にまで達するものとなる」(ヴォルフ・フォン・ニーベルシュッツ.バロックとロココ.竹内章訳.東京,法政大学出版局,1987. 160p.)という評がある。
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